【究極のフローをしよう】
そんなキャッチフレーズを掲げているヨガがあります。
そしてわたしもフローをすることを大切にしています。
一体何を持って究極とするのか。
ヨガにはアーサナと呼ばれるポーズがいくつもあります。
アーサナを行い呼吸を深めてカラダの感覚を味わっていくと、過去や未来に向かっていた意識も心も今ここに集中し、
次第にそれは深い静けさとなりありのままの私であり続ける心地良さへ導いてくれます。
私たちの心も思考も常に動き、今ではないものに思い悩むこともしばしば。
特にストレスを感じ易い方は過去に起きた記憶、感情を思い出したり、まだ起きていないことを心配して不安になったり、など妄想してまたそれがストレスに。。
わたしは多々あります↑↑↑(笑)
あれあれ
ヨガをしているのに?
ヨガをしていても完璧なんてありません。
むしろ
【完璧ではないわたしが既に完璧なのだ】
そんな風にマスターは言います。
話が逸れましたが
最終的にはそこにあり続けようとしなくても、いつも至福の喜びに満ちている
いわゆる悟りと呼ばれる状態になるのがヨガです。
そんなマットの上での練習がマットを降りた日常生活に繋がるように練習をする
それならばポーズがアーサナ、ではなく
そこに向かうまでの過程すらもアーサナとして丁寧に行うことこそ
【究極】
なのだと思います。
わたしが打っているこの文字は間違えたと思ったら何度でも消して書き直しが出来ますが、私たちの行いはそうは行きません。
今は常に過去に流れます。
今は過去の行いの結果です。
結果は選べないけども、行いを選択することは出来ます。
そしてその選択は無数です。
一本道を貫いて向かうも、数多ある道を熟慮して選ぶも全て自分の行いです。
間違えたと思う選択にすら学びという視点を得られれば間違えではないのです。
今という点と点を大切に繋ぎ続けるからこそ、不完全と感じていた自分を愛おしく
分かりやすく言えば自分の事を今よりも好きになれるのでしょう。
好きと良い難いならば
わたしがわたしであることを良しとしている
「わたし」が自分自身の一番の味方でいる
そんな感じです。
【ヨガをするのではなくヨガであれ】
これまたマスターの言葉です。
究極のフローとはマットの上で紡いだ行いが生き方になっていく。
今の積み重ねが輝く未来を作っていく。
今のわたしはこんな事を思いながらヨガをしています。
ヨガになれる日をのんびりと待ちながら.*・゚
あさ美
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(火)13:30 リフレッシュヨガ
(水)19:00 呼吸で迎える自分時間(隔週)
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